愛はあるのだろうか...ブログ編

VOL-NEXT 代表取締役 曽我千春のブログです。ブログというより、ときどきエッセイかな。更新遅し!お許しを。

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二人のお坊さま

こんばんは。一週間ぶりのスローブログです。ごめんなさい。

日曜日の夜、緑碧茶園のグレープフルーツティー(おいしい~!)を飲みながら、パソコン画面に向かっています。

最近、偶然(?)、二人のお坊さまとの出会いがありました。
今夜は、宗教を持たない人が、「生や死」を意識して生きるときの話です。

私は、宗教を持たない人間ですが、
宗教を持たない、もっとも宗教的な人間ではないか、と、自分で思うことがあります。

1歳のころから、カトリック系の保育所にあずけられ、おばあちゃんシスターに紙芝居の聖書を読んでもらいながら育ちました。

高校や大学の授業では、さまざまな思想や哲学を知り、孔子や釈迦の生き様や教えにも、強く惹かれるものがありました。

しかし、その後、病気になるまでは、毎日の忙しさの中で、
スピリチュアルな自分と対峙することもなく、宗教にも、興味はありませんでした。

がんという病になって、同時に、いろいろなことが身辺に巻き起こったとき、はじめて「死」を意識し、「永遠はないんだ」と思うようになりました。
カーテンを閉め切った部屋のベッドの脇で、独りひざを抱え、

「自分はなぜ生きるのか」「なぜ死ぬのか」「生きる意味は何か」を
考え続けました。

考えても・・・考えても・・・答えは出ない・・・

「だれか、教えて、私の生きる意味」
叫んでも、泣いても、だれも来ないし、教えてもくれません。

孤独の闇の中で、自分自身と対峙するしかない苦しすぎる日々が続きました。

人それぞれ、事情は違いますが、「生きる意味」を探して、今夜も眠れぬ夜を重ねている人もいらっしゃるでしょう・・・。

私の場合は、誰かに相談したり、宗教に頼ることもなく、
近所の書店に、ふらふらになりながら歩いて行って、ヒントになりそうな
本を探すことしかできませんでした。そういうときに手にとる本は、ベストセラーでも、平積みの話題作でもなく、棚のすみにひっそりある本だったりします。
私は、さまざまな哲学や宗教、先に歩いた人々の本を読み漁りました。

読み進める中で、それまでの自分なら、気にかけなかったような言葉が、次々に心と魂のフックにかかってきました。

抜けられないのでは・・・と思っていた暗闇に、ぱっ、ぱっと、光がさすようになりました。

時間と空間を超え、宗教や思想を超えた言葉との出会い。
それをヒントにして、
自分自身の中から目覚めてくる何かを確認できたとき、
「人生の意味」の答えは出なくても、
闇の壁を蹴り上げて、突き抜けていく自分がありました。

去年の暮れ、NHKのラジオ番組に呼んでいただいたとき、その話をすると、思いがけず、大勢の方から電話やFAX、手紙をいただきました。

そして、今月に入ってから、たまたまラジオを聴いておられた
岐阜の臨済宗のご住職から、便箋6枚に綴られた丁寧な手紙が届きました。その手紙は、こんな言葉ではじまりました。

    人生とは、生きていくということは、
    好む好まざる、望む望まざるを別にして、
    本当に、いろいろなことにめぐり合っていくものです。
    そのいろいろなもののほとんどは、苦しいことが
    多いような気がします。

乳がんでなくなられたお母さまへの思いを綴られ、
また、最近の葬儀や法事中心になっているご自分の生活を振り返られて、
人がなくなったときだけでなく、生きている間も、この苦しみ多い人生の中で、いかに安心を得て、幸せを感じて生きていけるように導いていけるかが、僧侶の一番の役割ではないだろうか、そのためにできることが自分にはまだまだあるように思う、と、ほんとうに素直なお気持ちを書き綴ってくださいました。

仏の道に生きる人もまた、苦しみからは逃れられず、苦しみの中に仏を見ながら歩き続けるのですね。
何度も何度もお手紙を読ませていただきました。

数日後、会社の近くの居酒屋のカウンターで、雑誌の編集者の方と食事?をしていると、隣の席に、曹洞宗のお坊さまが座られました。お坊さまは、私たちが、がんについて話しているのをお聞きになって、

「がんも含めてその人ですから、
闘うのではなく、共に生きるということでしょうか」と、おっしゃられたので、

「付合いながら生きるという感じでしょうか」と、私は応えました。
その居酒屋のあるビルの10階に「寺務所」があるとうかがって、
こんなビルの中に?と思っていると、
「お困りの方がいらっしゃったら、私でよければ、いつでも声をかけてください」と
名刺をくださいました。その連絡先の上に、
「24時間受付」
記されていました。都会の駆け込み寺なのでしょうか。

人は生まれるときも独り、死ぬときも独り、
どんなに愛した人でも、手をつないで抱き合ってはいけないし、
人生の道は、苦しいことも多い。永遠でもない。

でも、だからこそ、今、この瞬間、生きる人の傍に、生きる人がいて、
それぞれに、いろいろあるけど、全部ひっくるめて、
「傍にいるよ」と伝え合える・・・とても素敵なことだと思います。

私も、VOL-NEXTもまた、そんな思いで、あなたの傍にいられたら・・・と思っています。
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  1. 2005/02/20(日) 23:13:22|
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